私は、「対話」こそあなたの会社を革新する原動力だと思います。

サービスの紹介

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  • アライアンスコーチ紹介
  • 1.企業人としてコーチングと出会う
  • 2.独立してから学んだこと
  • 3.そして「対話会」誕生
  • 4.「対話」の可能性を追求する

 起業後10年間の歩み

1. 企業人としてコーチングと出会う

  • 40代の閉塞感①

    自分で語るには気恥ずかしい事ですが、私は真面目で従順なサラリーマン時代を過ごしてきました。先の事を考えるより、視点は常に今にあり、明日をいかに効率よく、いや正確にはいかに楽をするかを考えながら仕事をしていました。中堅印刷会社の企画や経営管理部門の中で、与えられた仕事と自分から生みだす仕事のバランスを保ちながら40代を過ごしていました。そんな中会社は、時代の流れの中で徐々に厳しさを増していきます。与えられる仕事が増し、当然葛藤が私の心の中で生じてきました。当時私には、その葛藤と真剣に対峙する程の意欲はなく、対峙する代わりに自分の存在を会社の外に求める事で、葛藤との心の均衡を保持しはじめていました。会社の閉塞感から逃れたい一心で。

    40代の閉塞感①
  • 40代の閉塞感②

    そんな折、インターネット普及前に、パソコン通信の存在を職場の友人から教わりました。後日談になりますが、その友人から、当時の私はパソコン知識もなくビジネススキルも少ない平凡なサラリーマンだったけれど、一端興味を抱くと一気に吸収し、それを形にする術には目を見張ったと言われました。パソコン通信は、私と会社外を繋ぐ最適な道具になっていきました。あっと言う間にのめり込み、当時、沢木耕太郎氏の「深夜特急便」に傾倒して香港に興味があった私は、香港を題材にパソコン通信の中で自分の「場」を作りあげて行きました。niftyの中に「香港フリーク(中毒)」という香港好き仲間の場を作り、日々その仲間とパソコン通信を介して情報を交換していました。仲間も一気に増え、オフラインという通信だけでなく、直接会って交流を深める機会も多く設けました。東京・大阪で開催し、そして遂には香港でも頻繁に開催するに至りました。最大時には仲間が60名を超え、オフ会も頻繁に開催され、私も年に数回訪港するようになりました。職場はそんな私の振る舞いを許してくれていましたが、そんな私を本質的な事から逃げていると思っていた方もきっといたのでは思います。

  • 40代の閉塞感③

    逃げる私とは裏腹に時代はバブルが崩壊し、会社もドンドン変化して行きます。本社建設・3社合併・1部上場と中期的な計画が立案され、私は自然とその渦中の仕事を担うようになりました。それは、人と人を結ぶ、相互に理解しあう等の方法を模索する日々でもありました。会社外では容易に人を繋げ、楽しみを共有しているのに、会社内では繋げること自体が苦痛になる。そんな暗澹たる気持ちに、微かな可能性という光があたる時がきました。それは、偶然観たTV番組で紹介されていた「コーチング」でした。コミュニケーションをマネジメントする方法。飛びつくようにコーチングへと意識が集中しました。当時60万円というサラリーマンとしては大金をはたいて、コーチング修得への扉を開きました。逃げる・躊躇う・慎重に考えるタイプだった私にとって、考えられないほどの即断即決の行動となりました。

    40代の閉塞感③
  • 答えは相手の中にある①

    コーチングを学び出すと、学習サイクルという言葉を教えられました。コーチングを学び、コーチングを実践し、そして自分自身にコーチを雇い自らコーチングを受ける。この3つをサイクルのように回す事がコーチングスキルを磨く為に必要であると知り、学習に没頭しだしました。実践の場は、会社内に設定しました。会社外の香港仲間にも協力はして頂きましたが、その当時からコーチングの活用目的を組織活性化にしていた事で、社内での実践に繋がったと思います。
    はじめて私のコーチになってくださった方は、コーチング経験が私より圧倒的に高く、既にコーチングを教える立場の方でしたが、ビジネス経験に長けた方ではありませんでした。どこか違和感を覚えながらもコーチングを受けていました。結果的には、そのコーチは現在も私のコーチであり、独立起業前からもう10数年私のコーチを引き受けて頂いています。

  • 答えは相手の中にある②

    では、何故当時は違和感があったのか?それはコーチングの根本概念を私は理解していなかったからだと、コーチングを学び始めて半年後くらいになってようやく気づきました。私はコーチに対してアドバイスを期待していました。コーチングを学びながら、自分のコーチから教わる事を前提にコーチングを受講したその姿勢が違和感を生じさせていました。「答えは相手の中にある」。コーチングは教える事ではなく、相手に考えさせ、答えを見出させ、行動を促すプロセスである事を、自分自身のコーチング体験の中で初めて理解する事ができ、徐々に私のコーチに対する違和感が信頼関係へ変わっていきました。

    答えは相手の中にある②
  • 答えは相手の中にある③

    コーチングを学ぶだけでなく、この私のコーチとのコーチング体験が私の大きな糧になり、今を作り上げていると言っても過言ではありません。会社の中でコーチングを活かせた事、退職の混沌の中から起業できた事、自分自身の会社を軌道に乗せる事ができた事、そしてコーチングの仕事を通じて多くの信頼できる仲間と出会えた事、すべてがその体験の延長線上にあります。コーチングの前提は、相手との間に信頼関係が築けている事です。信頼関係が築けたか否かは、自分で決められる事ではなく、相手が決める事です。言い換えると「リーダー」の定義と同じだと考えます。人は自分がリーダーだと宣言してリーダーになるのではなく、相手との関わりの中から、相手があなたをリーダーだと認知して初めてリーダーになるものです。言い換えれば、リーダーになるには相手との関係性の中で信頼関係を築けてこそ、リーダーとして認められる訳です。独立後10年を振り返って行くとまさに、様々な方々と信頼関係を構築する為に邁進してきた結果として今があると思います。

  • 退職と1円起業①

    2003年6月20日、24年間勤務した会社を退職しました。様々な理由はありますが自分の信念で50歳の選択をした!と今でも自信を持って断言する事ができます。今、私の手元に「1円でできる確認会社のつくり方」という書籍があります。見返すといたる個所にマーカーでラインが引かれています。同年7月18日、私は、当時の「中小企業挑戦支援法」という特例借置によって資本金1円の有限会社オン・ゴーイングを設立しました。まさに上記の書籍を見ながら、知り合いの税理士の方の力も借りながら会社を設立させました。現在では資本金の制限はなくなり、より簡単に会社を設立する事が可能となっていますが、その当時、資本金1円起業はマスコミに取り上げられる程に注目された存在でした。会社確認申請書の提出先が関東経済産業局経済支援課(さいたま副都心)にあり、庁舎の大きなフロアーの片隅にある受付に書類を提出し、外に出た時の暑さは、今でも記憶に蘇ってきます。

  • 退職と1円起業②

    マスコミで取り上げられたように、ビジネスのシーンでも1円起業は話題性があり、受け入れられたかと言うと、そう簡単には進みませんでした。資本金1円が会社信頼度の障壁になる事をその後、何回も味わわされました。まずは銀行口座開設。前例がないと断られた銀行、会社専用クレジットカードも与信審査で却下され、挙句の果てには、取引先になる可能性があった会社から断られるなど苦汁をなめた時期がありました。しかしながら、そのような事は長く続かず、何回か諦めずに関わる事で暫くして銀行も取引先にも理解して頂く事ができました。2003年はまず会社の環境整備に奔走し、ビジネスの採算などはほとんど考えられない時期でもありました。しかしながら失業保険は起業の意志が弱まると思い、一切貰わないと決めた事を正直な所、後悔した時期もありました。

  • 退職と1円起業③

    1つ1つ紹介された仕事を必死に遂行し、次に続ける事を繰り返すうちに、なんとかベースになる糧が見出せたのは、2004年になってからだと思います。いよいよ順調な2年目と意気揚々と踏み出した2004年は、なんとも苦しい1年になってしまいました。7月に父が亡くなり、8月に離婚、そして12月に母の病気。起業が1年遅れていたら叶わなかったと思える程、辛く長い1年になってしまいました。かつての職場仲間もおらず、一人で立ち向かう厳しさ、そのような中でも、唯一自分を支えてくれたのは、コーチングを通じて知り合った仲間であり、私のコーチの存在でした。コーチングは私にとって人生の第二章を作り上げるきっかけになったと思います。

    退職と1円起業③

2.独立してから学んだこと

  • リンクアンドモチベーション①

    起業当初は、個人対象のコーチングを基盤に、徐々に組織対象へ移行しようと考えていました。ネックは、コーチングスキルはある程度自信がありましたが、それを教える術がなかったことでした。コーチングを学びたい人やコーチングの資格を持ちたいと思っている、言い換えれば積極的に学ぼうと言う意欲の高い方に対しての教え方ではなく、組織の中で日々業務に奔走している方々に向けての伝え方が分からない状況でした。

    リンクアンドモチベーション①
  • リンクアンドモチベーション②

    そんな中、コーチ仲間の紹介で新進気鋭であり勢いのある組織コンサルタント会社リンクアンドモチベーションのグループコーディネーターという仕事をする事になりました。人前で30名程度の方々に伝えるのではなく、6名程度の方と関わりながら進める、グループコーチング的な仕事をさせて頂くようになりました。この会社はリクルート出身の方が起業された会社で、同じ講師仲間もリクルート出身や関係者が多く、物事の考え方、スピード感、そして使っている言葉も最初は分からない状況でした。また若い会社であり、担当者は皆30代、時には20代と、かつての組織では自分の部下にあたるような年齢の方々と一緒に仕事をする事になりました。しかしながら、そのような状況にあってもあまり不安はありませんでした。そんな状況を楽しんでいる自分や積極的に講師仲間と関わる自分に気づきました。仕事がある、仕事ができる、いろいろな企業の方々と接する事ができる、そんな喜びの方が圧倒的に自分を支配していたからだと思います。また知らずのうちに身についてきたコーチングスキルを、自然に対人関係に活用していたからだと思います。

  • リンクアンドモチベーション③

    その仕事を始めて半年後から、少しずつ講師役を頂けるようになりました。素晴らしい研修コンテンツがあり、そのコンテンツを75%意識しながら、25%は自分の持ち味を出して欲しいと言うリクエストがとても励みになりました。そうしてリンクアンドモチベーションの講師(ナビゲーター)としての仕事がスタートしました。2007年には年間120日以上、講師として全国を飛び回る日々が実現するに至りました。現在でも管理職を中心に新人研修までも担当させて頂いています。そしてそれらの仕事を通じてコーチ関係だけでない、ビジネス上での素晴らしい出会いがありました。同時に、起業当時先輩コンサルタントの方から3つの分野を常に意識して仕事をするように言われていた事を肝に銘じて、自社得意先の開拓を進めていました。この事がその後に起こる、リーマンショックを乗り越える準備になったと思います。

    リンクアンドモチベーション③
  • 「オレは聞いてない!」①

    2006年6月30日、徳間書店から「オレは聞いてない! 上司はなぜ部下の話を聞けないのか」を上梓する事が叶いました。この本の出版のきっかけはリンクアンドモチベーション社からの紹介でした。雑誌記事の取材を受けた時の取材者の方がライターの方であり、その方からの申し出で出版企画が出来上がり、約10か月後には上梓するに至りました。同年7月19日には六本木ヒルズ49階スカイスタジオにて出版記念パーティを開催しました。輝かしい瞬間であり、多くの方々の暖かい眼差しに支えられた時間でもありました。

    「オレは聞いてない!」①
  • 「オレは聞いてない!」②

    前日の7月18日は父の三回忌であり、直接父に読んでもらう事は叶いませんでしたが、コーチングとの出会いがここまで自分を導いてくれたという想いが募った日になりました。その本の最後に10年後(60歳も越えた2016年の世界)の事が記載されています。大半がまだ実現していない事ですが、その想いは変わらない自分を改めて認識する事ができました。出版後、ビジネスは加速しだしました。会社案内代わりに書籍を活用していきました。特に書籍を読んで頂いた方からのフィードバックが嬉しく、多くの方との接点ができました。出版する事は今の自分が考えている事、過去学んだ事、これから成し遂げたい事を考える良いきっかけになりました。考えてみると印刷会社に24年勤務して印刷物に慣れ親しんできた自分が、まさか自分の本を出版するとは…。その分、繋がりを意識し感無量でした。

  • 「オレは聞いてない!」③

    出版を通じて、読書に関しての意識が高まりました。仕事の上ではビジネス書を多く読みますが、いろいろな方にお会いする度に、読書欲を掻き立てられる経験をしました。いかに世の中には多くの良書があり、一生の内にどれだけの本を読む事ができるかと真剣に考えました。特に経営者の方に対しては、書籍を一緒に読みながら、自分自身を見つめて頂くコーチングを実施した事も、私の読書を加速させた要因であったかもしれません。そして2009年から読書会を主催しだしました。私が選んだ書籍を参加者の方に読んで頂き、読書感想とその本から感じた自分自身の事を語って頂く、自由な読書会を年6回程開催し続けました。課題図書は中 勘助「銀の匙」、中谷宇吉郎「雪」、谷崎潤一郎「陰翳礼讃」、サン・テクジュペリ「夜間飛行」、森鴎外「舞姫」、トーマス・マン「魔の山」、HDソロー「森の生活」など、この様な機会が無いと読まない、読み返さない書籍を選び、その内容を仲間と共有する楽しみも独立起業以降の学びの場で得たものでした。

  • 南シナ海からの眺め①

    コーチ同士で仕事を共有し展開する事も多々あります。特にHRリスペクトの寺田由美さん(アライアンスコーチ)と多くの仕事を共有させて頂きました。その中でも印象に残る仕事は、寺田さんが主体に開拓された海運会社の船長・機関長の方々へのリーダーシップコーチング研修でした。厳密な階級制度のある船での仕事とコーチングとは相いれない部分も多々あり、導入までの努力は計り知れないものがあったと思います。実際に実施後も、受講者からの反応は様々であり、一歩一歩進め、修正を加えながら実施していきました。特に若手への関わり方、若手育成にコーチングを活かす事、状況に応じたコミュニケーションの取り方に関して事例を活用しながら研修を進めさせて頂きました。その様な状況で、やはり現場を体験する事で研修の精度も上がり、参加者との距離感も縮まるとの提案を受け、寺田さんと共に東京タワーを横にした程の大きさのコンテナ船に乗せて頂く事になりました。

  • 南シナ海からの眺め②

    乗船場所は台湾の高雄、下船はシンガポール。4泊5日の南シナ海航海を体験してきました。これだけの大型船の中で日本人は甲板とエンジン部門を合わせても僅か8名。あとはフィリピン船員。ちょうど台湾付近には数個の台風が接近しており、台湾から中国への航海は多少揺れましたが、船員の方にはほとんど意識されない程の揺れの様でした。中国の港を出てからシンガポールまではまるで鏡の上を走って行くような凪の南シナ海航海が続きました。私たちコーチは日本人の方々の仕事内容、職場環境、居住環境などをその間観察させて頂きました。危険が伴うので実作業はほとんどさせて頂けませんでしたが、ほとんどの場所を見せて頂きました。

    南シナ海からの眺め②
  • 南シナ海からの眺め③

    食事の量の多さやフィリピン人が作る日本料理の組み合わせ、仕事に合わせた食事時間など、特に食事に関して驚きが多く、いっせいに取る食事の場のコミュニケーションの重要性を体感する事ができました。またかつては大部屋であった居住空間がほとんど個室になり、数か月間も一緒に過ごす難しさを、僅かな時間の乗船でも知る事ができ、貴重な体験になりました。航海も最後に近づき、シンガポールストレートと呼ばれる、船が一斉に狭い航路に入る場所に入りました。その時に、私たちが乗船している船と同じ大きさの船が見えてきました。初めて自分たちが乗っている船の大きさを知る瞬間でした。ふとその時、私は24年間勤務した印刷会社では、ほとんど現場体験がなく、間接的に理解していた事も改めて考えていました。組織を知る為に、当たり前の事ですが、机上では無く現場で体験し、視点を変えて考えることの重要性を、50歳を過ぎて噛みしめていました。

3.そして「対話会」誕生

  • 稲盛哲学と日本でいちばん大切にしたい会社①

    コーチングはコミュニケーションスキルであり、ビジネスの中ではマネジメントスキルの1つであると表現できます。コーチングを活用するにあたり、自己基盤を整える事が求められます。地盤が軟弱な土壌には建物が立たないのと同様です。私は独立起業してから自己基盤の核となる、自分軸を言語化する事に努めました。いろいろな方と接しながら、または読書の中から、年間100本以上観た名画の中からなど、自分に合う言葉を探しました。そして辿りついた考え方が、稲盛和夫氏のフィロソフィーでした。稲盛氏は、KDDI統合や、JAL再生など、時代を動かす名だたる経営者です。稲盛氏の一貫した考え方は、非常に明快で分かり易く、更にその根底となる考え方、「組織の在り方を問うのではなく、社員一人一人の意識改革が重要」「フィロソフィーを社員全員が携帯し、日々フィロソフィーに関して語りあう事」等が、すっと私の心の中に浸透してきました。

  • 稲盛哲学と日本でいちばん大切にしたい会社②

    一人一人、語りあう、まさに対話であり、私が目指した対話会と繋がった瞬間でした。また稲盛氏は、「性格+哲学」=人格と表現されていました。自己基盤を整える為にも、先天性の性格に後天的な哲学を加味する事で人格が陶冶されると言う言葉は一生忘れられない言葉になりました。稲盛哲学に触れる前提として、「日本でいちばん大切にしたい会社」の著者である坂本光司氏との出会いがありました。会社は誰の為に?という問いかけから始まる著書に、会社経営の5人に対する使命と責任が記載されていました。その第一に「社員とその家族を幸せにする」とあります。その姿勢がまさに哲学であり、その様な考え方で会社を経営している方に会いたくなりました。

  • 稲盛哲学と日本でいちばん大切にしたい会社③

    2009年、私は「創志塾」という、まさに、志を創造する人材育成の場を1年間運営していました。その塾では、経営者の生の声を聴くと言うプログラムがあり、「日本でいちばん大切にしたい会社」に記載されていた静岡県富士市吉原商店街の杉山フルーツ社長、杉山清氏に直接会いに行き、創志塾で語って頂きました。創志塾は塾生に対して教える事はありませんでした。場を与え、その中で塾生が考え、ゲストである様々な業界の経営者や落語家の方から考え方やスキルを引きだし、その考え方を基に、創志塾が準備した実際の企業に対してヒアリングを行いながら経営者に対して提案を行う事が塾生に与えた課題でした。まさに対話を通じて先を切り拓く場の提供のはじまりでした。

    稲盛哲学と日本でいちばん大切にしたい会社③
  • 企業変革対話会①

    2011年、チャンスが到来しました。グループコーチングを長年担当させて頂いた企業から大きなチャンスを頂きました。企業変革運動に対話を取り入れたい、コーチの力を借りたい、という私自身が描いていた場が天から降ってきました。そして会社が伝えたい事を定着させる対話会は、全社へ波及していきました。私たちコーチは延べ60回企業変革の対話をサポートさせて頂きました。対話会の進行内容は、まず経営層の方から対話会の目的と参加者への期待を語って頂き、その後は参加者6名を1名のコーチが担当する仕組みでした。研修ではなく対話というコンセプトを意識し、自由闊達な意見交換、本音の議論が出来る場を、コーチがサポートさせて頂きました。

    企業変革対話会①
  • 企業変革対話会②

    「本質的な会社の課題は何か?」「会社はどこを目指しているのか?」「そのGAPを埋める為に何をすべきか?」等の会社視点での対話を経て、最終的には「そこで自分は何をするのか?」(この段階では、何をすべきかではなく、何をしたいかという気持ちを確認していきました)を対話しました。2500名を越える社員の方々と対話をし続けると、素晴らしい体験もあると同時に、本当に困惑してしまう状況に陥る事もありました。毎回次回開催への意見交換をしながら対話会を進行しました。三分の一程度が経過した頃から、コーチの意識はその企業のファンになっていきました。それだけ企業の事を知りたい、一緒に変革を実現したいという気持ちが高まったからだと思います。この方式の対話会はその後、他社の企業ビジョン浸透対話会、事業転換意思確認対話会、次世代幹部候補者研修の最終振り返り対話会など、さまざまな形で実施され、発展していきました。

  • 対話におけるコーチの役割①

    対話会の中でコーチは何をするのか?企業変革運動の中に対話を採用して頂いた企業は、既に私たちがグループコーチング形式でコーチングを伝えていたので、コーチの役割をある程度理解して頂きました。しかしながら実際に対話会を進行する際には、参加者に向けて、あえてコーチは何をするのか?という説明をする必要がありました。そもそも私たちコーチが実現したい対話とは何か?コーチは曖昧な言葉を、質問によって深堀します。逆に詳細すぎる事象は、あえて抽象化する質問をします。何故このような事をするのか?それは伝える人がイメージしている事を、確実に他者へ伝えられる様にする為です。なんとなく分かる、言葉は知っているというレベルの理解ではなく、伝えたいと思った事が確実に他者へ伝えられる事が重要だからです。

  • 対話におけるコーチの役割②

    これには2つのキーワードがあります。「意味付け」と「相互理解」。人は対話をする事で、物事の意味付けをします。更に意味付けのプロセスを共有する事で、相互理解を深めていきます。対話では、伝える方が表層的な言葉を伝えるだけでなく、その方の深層的な価値観や世界観を語る事で、相互理解を加速させます。同時に、伝える方も他者に語りながら、自分を再認識する事も同時に行います。その対話のやりとりの中で、コーチは言葉が意味付けされているのか?表層だけでなく深層を語っているか?それを他者が認識しているか?を確認しながら対話を進めていきます。意味付けと相互理解が進むと意見の違いや理解の差を互いに受け入れながら、互いの考え方をより深化させる本質的な語り合いが実現されていきます。

    対話におけるコーチの役割②
  • 対話におけるコーチの役割③

    特に組織の中での対話を扱う場合は、様々な視点を持った方が集まります。また相互利害関係がある場合もあります。そのような立場で対話を実施すると、表層的な結論を目指す、事なかれ議論になるか、あるいは徹底的な対立議論になる事が多々あります。そうなると、言葉の意味付けも相互理解もないがしろになってしまいがちです。自己理解・他者理解を繰り返しながら、何を今話しているか等、対話参加全員が理解できる状況を作り上げる事がコーチの役割であり、そのような場作りがコーチの存在理由になります。またコーチも一人ひとり価値観や世界観を保有しています。最終的な対話の目的は一致していても、対話会参加者へのアプローチは異なる事があります。コーチ間でも相互理解をより深化させる為に対話を重ねる重要性を認識し、コーチ同士の対話を実施しています。

4.「対話」の可能性を追求する

  • 10年後の再会

    2012年夏、24年間勤務していた会社から私にアプローチがありました。企業変革のサポートをして欲しい、と。会社はその年、大きく会社の方向性変えようとしていました。私は対話という可能性を今後のビジネスの軸に変更しようとしていた矢先であり、2011年度の企業変革運動対話会の応用問題が天から与えられたと思いました。その仕事を受ける上で、私は幾つかの覚悟をしました。自分が描く様に進まなくとも限りなく自分の意思を伝える、一端引き受けたら途中で投げ出さない。2012年初冬、10年ぶりにその会社の本社に向かいました。10年ぶりの印象は、時が止まったように思えました。同じ人が同じ場所にいる、ただし確実にお互いに10年歳を重ね合っていると。

    10年後の再会
  • ヴィクトール・E・フランクル①

    50歳で大きく人生の舵を変更し、10年が経過しました。そして還暦を過ぎ、人生もふたまわり目に入りました。この10年間は人と関わる仕事ができる事、自分の会社を経営していく事に奔走してきました。順調な時も、また嵐の様に翻弄される時もありました。そんな時、大型コンテナ船で南シナ海を運航した時の、あの鏡の様な青く何処まで続く海の光景を思い出します。伊丹敬之著「経営の力学」の中で、伊丹氏は船の舵取りと経営を次の様に重ねています。「船長は星を読み、風を読み、潮を読み、人を読み、その上で船長としての総合的に判断し決断をしていく。経営者も船長と同じように、市場を読み、社会を読み、資本市場を読み、そして何よりも働く人々の心理を読みながら経営判断をして行く」。経営者が判断をする時の不安や、現場を抱える管理職のフロントラインとしての決断をする時の不安と、この10年私は対峙し続けてきました。誰もが不安になる時、その不安から抜け出す為の1つの手段が、コーチングあると考えます。

  • ヴィクトール・E・フランクル②

    私は60歳になって心の支えになる、まさに自己基盤の考え方に出会いました。「夜と霧」の著者ヴィクトール・E・フランクル。自分中心の人生が「心のむなしさ」を生み出す。「人生に意味があるか?」と考えた時に、どんな時にも人生には意味があると考える。人は誰でも、どんな状況にあっても、人生に何かを求めるのではなく、人生が「あなたが今後生み出す何かを求めている!」と考える。私は、自己基盤は自己中心的な考えではなく、自分が人生から求められている事を実現するという意識を持って生きる事と理解できました。その考え方を基軸に、組織を活性化させる事を目的に、さまざまな方々と対話をする事が、私の生きていく意味であると考えています。

    ヴィクトール・E・フランクル②